★ 吉井一成(仮名)様 男性・59歳・自営業
押印する際の、何とも言えない充実感や安心感…
正導印のお世話になって、はや二十数年が経とうとしております。
私が印鑑を正導印に寄るようになりましたのは、私の父が知人の連帯保証人になった結果、自ら破産の憂き目に会い、裁判所からの帰途に脳梗塞で倒れ、一瞬に逝ってしまうという、定まり具合も滑稽なばかり、人間の危うさを垣間見た事件が契機です。
正導印を紹介して下さったのは、Aさんという代々続く呉服問屋の五代目に当たる方で、私が子供時分から見知っている問屋街の会長でもあります。
それまでも、銀行への同行など、親身に色々と相談に乗って下さっていたのですが、父の葬儀が終わり、一連の騒動もようやく収束しようとする頃でした。
「ここらで気分一新、ハンコ、替えてみないか?」
と、Aさんが唐突に、改印を提案されました。
「ハンコ?」
また何を言い出すやら、さすが古いよね…私は内心笑いました。
ところで、Aさんの御商売と申せば、同業の多くが廃業している中にあって、今も隆盛を誇っておられます。
文字通り順風満帆、金満家を絵に描いたような老舗主人です。
しかしながら、ぼそぼそ語られる内容は、青臭い私を打ちのめすものでした。
先ず、如何にも呑気な風貌のAさんをして、ただ持って生まれた幸運が支えているわけではなく、むしろ、連続して訪れた艱難辛苦が現在の基礎を築いている現実に驚かされました。
ピンチをチャンスに替えた秘訣は、止むことのない、Aさん御自身の創意工夫そのものでした。
そのようなこと、私は全く存じませず、それどころか、相談に乗って下さっていた正にその時期、Aさん御自身が、大手取引先の倒産劇最中に居られたのです。
私は、身の置き所無く、我が身勝手、浅はかさを猛省する以外に術がありませんでした。
何せ、当時の私ときたら、悲劇を生んだ関係者達を糾弾した挙句の果て、己自身の人生をすら呪う作業に没頭しておりましたから。
おまけに、私が期待していたのは、正導印がもたらす棚ぼた式幸運話に違いなかったのです。
私は拍子抜けの体で、それを素直に述べました。
Aさんは、「自分にもよくは理解出来ていないが、人の生き様を変えることに、改印の本意も在るのではないか」との旨を申されました。
印鑑と申せば、やれ開運だとか吉相だとかの、まじない染みた安っぽい文句が、枕詞の如く羅列致します。
そもそも事の大小を問わず、契約の基を為すべき印鑑の価値が、吉凶の具に供されることに違和感を覚えてなりません。
浅学にして商売人の私が口にして誠に恐縮ですけれど、印字が紙幣の押印と同様の「てん書字体」であること、そして、材質が「つげ」のみであること、この二つを取り上げて、私が正導印をお勧めする理由に足って十分と申せます。
二つは、流行や営利に走らない何よりの証であるからです。
これを例えに、あくまで我が国の伝統を重んじる正導印の姿勢が、押印する際の、何とも言えない充実感や安心感に繋がっている様に思えるのです。
私の家族は、認印・銀行印・実印と全て正導印を用いていますが、日常、認印の押印に際して、周りから感嘆に似た言葉で評価されるものは、ゆったりした陰影(いわゆる印の『顔』)だそうです。
当然頻繁に押印する認印においてさえ、これだけ優越した心理状態を保てる印鑑が他にありましょうか。
これこそが、「押印することで道が開けて行く…」の由縁だと思っています。
殊に、滅多やたらに用いてはならない実印において、その真価が極まるのは疑いの無いところです。
この場をお借りし、かつての荒んだ心を、自らの人生を重んじる自然な心へと導いて下さったAさんに感謝するとともに、私の身に在って常に悠然たる面持ちの正導印を、一人でも多くの皆様方に推薦申し上げたいと存じます。